母親と他愛もない談話をしながら団欒ができる幸せ




実家に帰省して、楽しくてしみじみ幸せだなと感じることが最近ある。

それは、母親と他愛もない話や団欒をすること。

一人暮らしで離れたことで、何気ない談話ができる尊さを感じました。

このひとときが、本当に楽しい。

団欒や談話が嫌いだった理由

まだ、一人暮らしをする前は、母親と話をすることが苦痛でした。

とりわけ嫌で避けてたのが、他愛もない話や団欒(だんらん)をしている瞬間。

その原因は、話す内容の大部分がグチでたいていぼくが聞き役になるからです。

当時は、自分も余裕がなくて、でも聞いてないと悪いと思ってイヤイヤ黙って聞いてました。

本心から望んでないことだから、あいづちとオウム返しを適当にしながら、「時間よ、はやく過ぎ去ってくれ」と思うことが何度もあった。

意見や言いたいことを言えるようになったら楽しくなった。

実家ぐらしのときは、なにかと理由をつくって話をすることを避けてきた。

でも、最近は話をすることが楽しい。

なぜか!?それは、「自分に余裕ができて、本音で話ができるから(あと自分も話したいことが山ほどあるから)」。

参考29年間抱えてきた呪いじみた観念に別れを告げてきた!

▲こちらの記事でも書いたけど、一人暮らしをして離れるとお互い本音で話をできるようになった。

それでも、割合的に母親が多くて、ぼくは聞き役。

でも、言いたいことはハッキリ言う。

イヤイヤとか建前とかない状態で話せる環境。

話をしながら、生真面目で不器用なこの価値観と雰囲気は、宮岡家特有だなとしみじみ感じる。

その価値観や考え方に染まりきってたときは、とても窮屈だった。

現在は、「そういうときもあるけど、そうじゃないときもあるよね」と半々な姿勢で接することができる。

このひとときがたまらなく愛おしい。

☞まとめ

楽しいひとときを感じながら、

コーヘイの母

あと、コーヘイの元気な顔を見られるのは何回かね。

とつぶやいたことがある。

こういう確信めいたひと言にずるいと思うことがある。

でも、まぎれもない本音なのだろう。

こういったひとことで、これからどうしようかと考えるターニングポイントにもなったりするものだ。

いっぽうで世間じゃ様々な親子がいる。

そんな中で息子と話したいと思ってくれるのは、ありがたい。

お茶をすすって、せんべいをバリバリ食べながら、再びはじまる他愛もない話。

さあ〜あと何回できるのかね。

以上、「母親と他愛もない談話や団欒ができる幸せ」と題して記事をお送りしました!!